競わされ。戦わされ。負けたら終わり。戦国武将かよ笑。卓球で突き抜けた根本的な理由

日記学んだこと

卓球で結果を出せた根本的な理由

勝ったら褒められ、負けたら殴られる

卓球の成績
日本代表に勝利
リオ五輪日本代表トレーナー
インカレ全勝、ベスト8
関西学生団体優勝
関西学生シングル3位
日本リーグ二部団体優勝

小学校、中学校はスパルタなクラブチームに入っていたので、勝ったら褒められて、負けたら怒られ、殴られ、競わされてきた。スパルタのコーチングによって恐怖が植え付けられ、勝つしかすべしかなかった。だって負けたら怖いもん。笑 昔の教育です。スパルタ8だけどできたら2褒めてくれる笑。大学でも負けたら団体戦でメンバーから外される。結果が全て。

そして、褒め上手な両親の支えがあったから頑張れた。毎試合二人揃って応援してくれた。ずっと応援してくれた。だからここまで上に上がれました。スパルタな教育(クラブチーム)と親の支えがあったからこそ、忍耐力が身につき卓球で強くなり突き抜けた。褒め上手なんですよ。笑

負けても冷静に分析して改善策を教えて欲しかった

その中でも勝つこと、強くなること、親の喜ぶ顔をみること、が楽しかったから続けられていた。努力してきて、勝った時の喜びは計り知れない。本当にそんなスパルタじゃなかったら、親の支えがなかったら、また褒めがなかったら、今ここにはいないだろう。本当に今となっては感謝。クラブチーム、ちょっと教育の仕方を変えて、できないことを「なんでできないんじゃ」じゃなくて、「何が原因でできなくさせていると思う?」「こうしたら良くなりそうだね」と一緒に考えて明確に伝えて欲しかったな。負けてもポジティブに改善点を伝えてくれていて、いいところを伸ばしていてくれていたらもっと伸びていたのかなとも思った。ないものねだり。次自分がそうしていけばいい。

そこで忍耐力が培われて、高校大学で、いい環境に恵まれ、仲間と共に、試行錯誤して、経験値を積み、一気に飛躍しました。

自分という人間のエピソード

勝ったら報酬をもらえ、負けたらあの世行き。戦国時代の武将みたい。この感じを全て振り返って、前進できたものが1流の極地に辿り着けると思う。

まず考え方が違っていて、一流は何の分野でも勝とうとしていない。恐れていない。

餌を前に垂らされて走る馬。

競わされて、他人と比べさせられ、「負けたら自己肯定感が下がり、勝てば上がる。」何もしていなければどんどん下がる。勝つか負けるかで褒められたり怒られたりしてきたから。卓球から離れた時、一気に鬱近くなった自分がいた。

そうなると

普段何もしていない自分を受け入れられない

何かしてしまう、不安だから何かしないとやばい

結果を出そうと追い込んでしまう

日常に楽しさがなくなりストレスが溜まる

心に背いて無理をしてしまう

何もしていなくて幸福度が高い人を妬む。羨む。

他人と比べる

周りと比べると劣っている自分が嫌になる

更に頑張る。大きく見せようと尖る、見栄を張る。

素直な自分なんて消える。

結果を出せば何も言われないし、自尊心を満たすことができるので走り続ける

止まったら死亡笑

何かしていないと不安で仕方ない。

永遠走り続けないといけない。止まったら生きている価値がなくなると思っているところがあったから。というかそう思っていた。卓球から離れた時、マジでやばいと思ったから、何かをやらないと自分は消滅するのではないのか笑。みたいな。アスリートが引退すると鬱病になりやすいみたい。そういう記事がありました。https://spojoba.com/articles/1063

一番難易度の高い誰もが負けていると言われていたFXに挑戦しました。難しい分野で結果を出せば、認めてもらえる。褒めてもらえる。誰からも何も言われない。一人で稼ぐことができる。稼ぐ額の天井はない。だからFXを選んだ。

いいことをしても悪いことをしてもありのままを肯定される環境だったらどうだったのか。その環境だったらもっと伸びていて、やばいところまで行っているか、もしくはここまで追求しようとせず、ただ平凡に幸せに生きているか。難しいところ。

勝手に追い込まれていく

人に頼れない心理的原因と特徴。自尊心を高めて改善する2ステップ | 内向型人間の進化論引用

その戦士達の輪の中に居ていれば何も感じなかった。頑張っていれば結果を出していれば、チヤホヤされ、褒められ、認められる。周りが同じところを目指す同志だったから。実業団や、卓球の輪から一旦抜けた時、苦しみました。何もしていないから、なんかしないといけない。FXでは勝てない、自信は下がり続ける。周りとも価値観が合わない笑。人に厳しく接してしまう。孤立する。仲間もいない。塞ぎ込む。仕事を頑張るしかない。となっていました。

人に会いたくなくなるメカニズム

自分に厳しい

他人にも厳しく強要してしまう

周りの人、相手を傷つけない様にとあまり自己主張をしなくなる。

黙り込んで何も言わなくなる

人に会わなくなる

親の印象もネガティブなのが多め

親から「何でもすぐ黙り込んで。」「あんたはこう思ってるんでしょ!」「だからあんたはこうなんよ」と決めつけられたり、自分の思っていることを尊重してもらえなかった印象が強く頭に刻まれている。これはあくまでも親のせいではない。親にも色々その時ストレス、や不安やら、色々あるもの。決めつけた方が親としても楽ですから。親も遡るとそういう教育を受けて育ってきたのだと思う。だからそれを理解している。

理解した上でその状況で今まで育ててくれて感謝しまくっている。極まりない。ここまで卓球させてくれて、好きなことをさせてくれて、いろんな気づきを導き出せて、いろんな人を助けたり、勇気や希望を与えられて、自分も幸せになれている。今の親との接し方は前とは変わり、親も丸くなり、自分も丸くなり、自己表現できる様になったから対応が変わった。

自分を否定される記憶が強いので

自分の警戒心が高まる

警戒するから相手も警戒してしまう。

相手から攻撃を受けると判断すると更に塞ぎ込む

人と会話する度に自分が傷つく感じになる

それが嫌すぎて人と会わなくなる

教訓、意識すること

てことは自分その連鎖を断ち切り、意識を変える
この教育を変えるために多くの人を救うために生まれてきたんじゃないかとも思った笑、天命
①何もしていなくともありのままの自分を受け入れる 自分褒めを徹底する
②自分も相手も否定しない
③他人の話を最後まで聞き、尊重する
④失敗してもチャレンジした自分を褒める
⑤誰とも争わず、戦わず、勝とうとしない、上やら下はない。
⑥他人と比べない、自分を記録して自分の成長を見る
どこまで行っても凡人マインド。自分に過信しない。

このように意識を変えれば物事は上手く進む。そうすればベストなパフォーマンスは出せる様になる。プレイ中緊張しなくなるし、無駄な体力は消耗しない。頭も正常で、客観的に物事を判断できて、自分のプレイに深く集中できる。自分のベストなプレイが最後の1点となった時に出せる。ということ。

根本は幼き記憶から辿ると見つかる

根本はその幼き記憶を辿らないと解決しないということ。親のせいでもなく、指導者のせいでもない。誰のせいでもない。産んでくれなかったら、ここまで育ててくれなかったら、自分はいない。感謝でいっぱいすぎてやばい。

考え方を変えて、この連鎖を断ち切るためには⇩

誰のせいでもない。

「どうすれば良くなるかにフォーカスする。」

自分がお父さんになった時、家族を持って、教育していく立場になった時、指導者で今も、人様に教えたりしているけど、そこで成功しても失敗しても、ありのままに受け入れてあげて、自分を尊重してあげられたらもっと幸福度が高い人たちになるんじゃないかなと思った。自己肯定感マックスでなんでも失敗を恐れず挑戦しまくる。PDCAサイクルを回しまくり、自分の夢を最短で叶える。自分のやりたいことを楽しいことを全力でやらせてあげたい。そう思いました。そのためには相手の話をよく聞き、考えを尊重してあげることに繋がる。今の自分の役目は多くの人に伝えること。苦しみまくった先にやっと見えた。この人間模様。本にいつかしたい。

家族も生徒さんも楽しく幸せにスクスク育ってほしい。

この嫌だったことをまた繰り返し伝えるのではなく繰り返さない。スクスク楽しく育っていく環境を作っていきたい。親も、習っていた卓球スクールのコーチも、その様に親から自己を尊重してもらえない教育を受けてきたのかもしれない。代々受け継がれてきたこの教育を断ち切り、自分みたいな人を少しでも減らす。緊張、人見知り、対人恐怖症、鬱病、HSPやら大体全部体験した。精神科医も通った。意味なかった笑。学んで知識がなかったからこうなった。全て過去たどれば一発。だから断ち切りたい思い出いっぱいです。

警戒心MAXで、睨みをきかして、自分にも他人にも厳しい、喧嘩っ早い。それは全て自分を守るためです。攻撃を受けると勘違いしている又は、自分が他人を傷つけてしまうかもといった恐怖。本当は、親しい仲間が欲しいのに、本当はもっとみんなでワイワイしたいのに、表現の仕方がわからなくて、辛くて、困っている人なんて山ほどいます。みんな根は優しい。ありえんくらい優しい。ただ表現の仕方がわからないだけ。その表現の仕方を学べばどこまでだってスクスクと育っていける。書きながら泣きそうになっています。

以上、自分の謎が解けました。人に対して、警戒を解くことができればそれは鏡となり、相手も同じように、警戒を解いてくれる。自分が笑っていれば相手も楽しい。その軽い空気感は伝わる。

以上、ここまで読んでいただきありがとうございました!