こんにちは、しゅんぱちです。
今回は、僕自身が最近「人との接し方」について大きな気づきを得たお話をしたいと思います。
実はこれまで、僕は人と関わる時に、どこか“適当”に接してしまうところがありました。
それは冷たいとか、無関心とか、そういうものではなくて——
「どうせ自分のことなんてちゃんと見てくれない」
「こっちが丁寧にしても、結局なめられる」
そんな思い込みがあったからです。
でも今日、卓球レッスンの最中に、ある変化がありました。
僕が相手に丁寧に接したことで、相手の目を見ることができ、会話が弾み、そして心が満たされた感覚を得られたんです。
その体験を通して感じたこと、考えたことを、今回のブログで深掘りしてみたいと思います。
適当に接してしまっていた理由
振り返れば、僕が「適当に」接していたのは、
実は自分を守るためだったのかもしれません。
昔から、あまり人に本音を見せるのが得意じゃなかったし、
人の目を見て話すのも、緊張するし、苦手でした。
それに、こちらが丁寧に接しても、軽く扱われたり、
変な反応を返されたりすると、「なんで俺だけ真剣なんだよ」って、
余計に自己肯定感が下がってしまう。
だから、最初から“適当なテンション”で接して、
「傷つかないための距離」を取っていたんだと思います。
でもそれって、結局自分も相手も不快な空気を作ってしまうし、
会話がギクシャクする原因にもなっていたんですよね。
【卓球レッスン中に感じたこと】
そんな僕が今日のレッスンで、ふと「丁寧に接してみよう」と思ったんです。
目の前にいる生徒さんに対して、
「この人は自分を見下してこないか」なんて構えずに、
ただ目を見て、落ち着いた声で話しかけてみた。
すると、不思議なことに——
自然と相手の表情も和らぎ、話がどんどん広がっていったんです。
レッスンもすごくいい雰囲気になったし、
「今日の時間、すごくよかったです」と言ってもらえた時、
「ああ、自分もこんなふうに接していけばよかったんだ」って思えた。
相手に丁寧に接するって、実は**“自分のため”にもなるんだな**って。
【“なめられたくない”という感情の奥にあるもの】
僕がずっと気にしていたのは「なめられたくない」という気持ちでした。
でもその根底には、「本当の自分は認められないかもしれない」という不安があった。
だからこそ、ちょっと尖った態度を取ったり、
距離を置くような接し方をして、先に自分を守っていた。
でも、それってすごく“孤独”なんですよね。
相手と心が通じ合うこともないし、
自分自身もどこか空っぽになっていく。
今日のレッスンで丁寧に接したことで、
相手の笑顔と、自分の中の温かい気持ちが一致した。
“なめられる”ことを恐れていた自分が、
実は「人とつながることを求めていた」んだと気づきました。
【人は鏡。こちらが丁寧にすれば、相手も丁寧に返してくれる】
今日、僕が心から実感したのはこのことです。
こちらが雑に接すれば、相手もどこか冷たくなる。
でも、こちらが誠実に、まっすぐな目で接すれば、
相手も自然とやわらかくなって、やさしい言葉を返してくれる。
まるで、鏡のように。
そしてその“やりとりの循環”の中に、
心の満たされる感覚があるんだと感じました。
【丁寧に接することは、自分の波動を整えること】
丁寧に接するって、単に礼儀正しくすることじゃないと思います。
・相手の目をちゃんと見て
・言葉を選んで
・心を込めて伝える
そのひとつひとつの積み重ねが、
自分自身の波動を整えて、日々の流れを変えていく。
FXでも卓球でも、そして人生でも——
結果が良くなるときって、実は“自分の状態”がいいときなんですよね。
焦りや不安が強いときはミスが増えるし、
逆に、心が整っているときは判断も落ち着いていて、自然と流れに乗れる。
だからこそ、普段の“人との接し方”も、
自分の状態を整えるための大事な習慣なんだと思います。
【まとめ】
今回は、自分がこれまで適当に接していた理由と、
丁寧に接してみたことで感じた変化についてお話ししました。
・適当に接すると、自分もギクシャクしてしまう
・丁寧に接すると、相手の反応も変わり、自分の心も整う
・人との関係性は、自分の波動や状態の鏡である
これは僕にとって、本当に大きな学びでした。
これからも、目の前の人に“心を込めて”接することで、
もっと深い信頼やつながりを築いていきたいと思います。
ここまで読んでくださっていつもありがとうございます😊感謝。