存在価値を認めた瞬間、人生が変わり始めた話パート2

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こんにちは、しゅんぱちです。

自分には価値があるのか?

ふと立ち止まったとき、「自分って本当に価値ある存在なのかな…」と不安になったことはありませんか?
何かを成し遂げているわけでもなく、他人と比べて特別秀でているわけでもない。
そんな自分が、果たして堂々とこの世界にいていいのか。
僕自身、長い間この問いに悩まされてきました。

でも、今日。
大阪駅を堂々と歩いている自分がいたんです。
「存在しているだけでいい」という感覚が、はじめて心から腑に落ちた瞬間でした。
そのときの軽さ。心のプロテクターが外れて、世界がパッと明るくなったような感覚。
この体験をどうしても共有したくて、この記事を書いています。

僕が無意識に抱えていた“条件付きの価値観”

これまでの僕は、どこかで「稼げているから」「人に好かれているから」「彼女がいてくれるから」
そんな“条件”があるからこそ、自分には価値があると信じてきました。
でもその土台は、思った以上に不安定で、脆かったです。
条件が崩れそうになると、すぐに不安になる。
誰かに否定されると、途端に心が萎縮する。
本質的には、「何もしない自分」に対する許可が、まったく降りていなかったんですね。

存在価値とは、成果とは無関係な“源”だった

今回、「自分は生きているだけで価値があるんだ」と心から感じられたことで、世界の見え方が根本から変わりました。


稼いでいる人を見ても、「この人の中身をちゃんと見たい」と思えるようになり、容姿が綺麗な女性を見ても、「この人の本質を感じたい」と思うようになりました。


表面的な評価ではなく、本当にその人の“心”を見ようとしている自分がいました。

これってつまり、他人をジャッジしていたのは、自分の存在価値に自信がなかったからだったんですね。


自分が存在していい理由を、他人の評価や結果に求めていたからこそ、他人の価値も“条件付き”でしか見れなかったです。

「ありのままを愛する」という意味がようやく理解できた

“ありのままの自分を愛する”って、今まで何度も聞いた言葉でした。
でも、その本当の意味は、頭で理解しているつもりで、まったく腑に落ちていませんでした。


今日ようやく、それが「存在そのものにOKを出すこと」なんだと気づけました。


できていなくても、何もしていなくても、
ただ「ここにいる」ことを自分が自分に許せたとき、人はものすごく自由になります。

なぜ多くの人がこの感覚にたどり着けないのか

実際、この話を聞いても、「そんなのできるわけない」と思う人もいるかもしれません。
でもそれも当然です。
僕自身、何年もかけて外の世界で戦って、成果を積んで、やっと今ここに立てているからです。
「結果がすべて」「価値は他人が決めるもの」
そういう社会にどっぷり浸かっていたら、存在そのものに価値があるなんて思えないです。

だからこそ、いまこの記事を読んでくれているあなたには、伝えたい。
あなたが“いる”ということだけで、ものすごい価値があるってことを。

最後に:心が軽くなる生き方を選ぼう

僕がこの感覚を掴んだことで、世界の歯車がひとつカチッと動いた気がしています。


「もっと頑張らなきゃ」

「もっと評価されなきゃ」

そんな気持ちから解放されて、

心から「生きてるって最高だな」と感じられました。


これが、僕の「存在価値を認めた日」の記録です。

ここまで読んでくださって、いつもありがとうございます😊感謝。