こんにちは、しゅんぱちです。
最近、ふとしたことで大きな気づきがありました。
それは「完璧に話そう」「間違えないように言おう」と思えば思うほど、僕の頭の中が疲弊していくということ。そして、それがトレードの場面や、日常の人間関係にも強く影響していたと気づきました。
僕はFXの場面でも、普段の会話の場面でも、いつもどこかで「正しいことを言わないと」「変なこと言ってないかな」と自分の言動を無意識にチェックしていました。
でもあるとき、こう思ってみたんです。
「もう、清々しい言葉だけを発しよう。たとえそれが正しいかどうかはわからなくても、自分の中に濁りのない、誠実な気持ちがあるなら、それだけで十分じゃないか」
その瞬間、信じられないくらい頭が軽くなりました。これは、FXトレードにも通じる大事な感覚でした。
自分の言葉が怖かった理由
もともと僕は、人の心を大切にしすぎていたのかもしれません。
「この言葉で相手を傷つけてしまったらどうしよう」
「本音を言って嫌われたらどうしよう」
「自分の意見なんて、押しつけにならないかな」
こんなふうに思っていると、いつの間にか「自分の存在そのものが人に迷惑をかけているかもしれない」というセルフイメージが染みついていました。
だから、人と話すたびに、どこかで頭が重くなる。言葉を発するたびに“間違っていないか”という自己チェックが入り、エネルギーを消耗していたんです。
FXトレードにも同じ感覚がある
この感覚は、FXでもまったく同じでした。
エントリーをした後、「これで本当に良かったのか?」と何度も何度もチャートを見返し、不安になる。
ポジションを持ったあとに「やっぱり違ったかな」と根拠を探し直しては迷ってしまう。
結局、どんなに準備しても「間違っていたらどうしよう」という思考が止まらない。
その度に脳のエネルギーが消耗し、どんどん判断が鈍っていく。
そして、損切りになったら「やっぱり自分はダメなんだ」と過剰に反省してしまう。
でも実際には、トレードも会話も「完璧にやろう」とするから苦しくなるんです。
大事なのは「自分の中に濁りがないか」だけ
この経験を通じて気づいたのは、「言葉の正しさ」や「発言の正確さ」よりも大切なことがあるということです。
それは、「今の自分に濁りがあるか、ないか」
もっと言えば、「今の自分の在り方が、清々しいかどうか」
自分が清々しい気持ちで言葉を発することができれば、それがたとえ多少ぶっきらぼうだったとしても、相手にはちゃんと伝わるものがあります。逆に、どんなに丁寧に話しても、心に曇りがあると、それはどこかで伝わってしまう。
トレードも同じです。
清々しい意志で「ここで入る」と決めてエントリーしたなら、それが損切りになっても何もブレません。
むしろ、「これは自分のルール通り。次に繋がる」とスッキリした心でいられる。
でも、エントリーに曇りがあると、「本当は入りたくないけど…」という濁った気持ちで入ってしまい、
損切りの時に「あぁ、やっぱり…」と重くなってしまう。
すべては“自分の在り方”に戻ってくるんです。
清々しく話すことは、清々しく生きること
ある日、僕はこんな言葉を自分にかけました。
「しゅんぱち、お前はもう、誰かを傷つけようなんて思って生きてないよな?」
「だったら、もう安心して話せばいい。清々しく話せば、それでいいじゃないか」
この言葉をかけた瞬間、自分の中で何かが溶けた気がしました。
自分の中にある誠実さを信じること。
自分の発言に責任は持ちつつも、いちいち自分を責めないこと。
完璧でなくても、僕は清々しい気持ちでいたい。
その「在り方」こそが、トレードにも、日常にも、一番の安定をもたらしてくれる。
これからもきっと迷ったり、不安になったりすることもあると思います。
でも、そんなときはこの言葉を思い出します。
「清々しく生きよう。清々しく、言葉を選ぼう」
それだけで、人生の空気がスッと澄んでいく気がするから。
ここまで読んでくださっていつもありがとうございます😊感謝。